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厳島神社の鳥居はなぜ海の中に?朱色の訳と歴史と正しい参拝方法とは

日本三景の一つで、世界文化遺産でもある安芸の宮島にある厳島神社を観光したことのある人も多いと思います。
この厳島神社の鳥居は海の中にあります。
鳥居が海の中にあるのはめずらしく、人々の興味をわき立たせますが、なぜ海の中なのでしょう?
人びとの関心を引こうとして海の中に朱塗りの大鳥居が作られているわけではなさそうです。
今回は、厳島神社の鳥居の歴史と謎について探り、正式な参拝方法についてもご紹介します。

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宮島には過去2回行ったことがあります。

1度目は高校の修学旅行で瀬戸内海と九州を旅した時に立ち寄りました。

2度目は仕事でお客さんと工場に行った時にご案内しました。

何れの時も厳島神社は平清盛とのかかわりがあることや平家納経などの貴重な文物があること程度の浅い知識しかありませんでした。

あらためて、厳島神社には朱塗りの大鳥居がなぜ海の中にあるのかが気になり、その理由を歴史と共に紐解いてみることにしました。

厳島神社の鳥居はなぜ海の中にあるの?

厳島神社の鳥居がなぜ海の中にあるのかを考える時、いろいろな理由を空想してしまいます。

たとえば、

厳島神社の鳥居のある場所は干潮時には潮が引いて海の底が現れますが、その昔、そのあたりは陸地だった、

とか

厳島神社を一層見栄えよく引き立てるために海の中につくった、

など、根拠もない想いがわいてきます。

実は、鳥居が海の中にあるのはちゃんとした理由があるのです。

神社では本殿の正面に向かって参道(お参りする道)がまっすぐ伸びています

その参道の入口には鳥居が立てられてます。

これは、陸にある神社や鳥居を考えればわかりますね。

そして、鳥居の役割は、神様が住まわれる領域と人が済む領域を分けるために立てられます。

つまりその境目のところに立てられているということです。

厳島神社を考えた場合、本殿の正面は海に向かっているのです!!

そうすると本殿に向かう参道は、当然海の上にあり、鳥居も必然的に海の中にあるということになります。

正式な参拝の方法は?

鳥居が海の中にあるワケがわかると、厳島神社は、船に乗って海の中の鳥居をくぐり、本殿に向かうのが正式な参拝方法だということになります。

私たちは観光で厳島神社を訪れる時、陸路を伝ってお参りしますが、これは裏口からお参りしているようなものなのですね。

次回行く機会があれば、海の中の朱色の大鳥居を船でくぐって参拝するクルージングで正式参拝をやってみたいと思います。

天気がよければ満点の星空のもとの幻想的なナイトクルージングで、一味違う素晴らしい体験ができるかもしれません。

なお、大鳥居の上に掲げられている額(扁額-へんがく)の文字は海側は「厳島神社」、本殿側は「伊都岐島(いつきしま)神社」と書かれています。

理由はよくわかっていないそうですが、昔は「伊都岐島」と呼ばれていたそうです。

平清盛が「厳島」と呼ぶようにしたという言い伝えがあるそうです。

このことから、二つの呼び名が充てられているのかもしれませんね。

厳島神社の鳥居はなぜ赤い

厳島神社の鳥居は平安時代に作られ、現在のものは明治8年(1875年)に再建された8代目にあたります。

高さは約16m、総重量約60トンの特大の鳥居です。

主柱はクスノキの自然木で作られています。

明治時代初期は明治元年(1868年)に発せられた神仏分離令があり、そのため再建当時は朱塗りではなく木の地肌のままだったようです。

明治33年(1900)に社殿が暴風で破損してしまったので、修復工事が翌年から大正8年(1919年)に掛けて行われました。

その修復時に、社殿や大鳥居も朱塗りになったそうです。

なぜ赤い色にしたの

平家の旗は赤色であり、平家ゆかりの神社ということで朱色になっているようです。

厳島神社の歴史を簡単に教えて

厳島神社と言えば、平清盛や平家一門と縁が深いので、清盛が作ったのではと思いがちです。

答えは、一部は正解、一部は不正解です。

厳島神社、593年に地方の豪族が社殿を創建したことから始まったとされています。

1400年以上の歴史をもつ神社ということです。

平家とのかかわりが強くなったのは、平安時代の末期に平清盛が安芸の守となったことによるとされています。

平清盛は大規模な社殿を造営し、現在とほぼ同じ規模になりました。

そして、厳島神社は平家の氏神になりました。

その後、平家の滅亡と共に厳島神社は衰退していきます。

戦国時代に入り、1555年には毛利元就が厳島の戦いで勝利を収め、一帯を支配します。

毛利輝元は厳島神社を崇拝し、大掛かりな社殿修復をして、再び栄えるようになりました。

江戸時代に入ると厳島詣でが盛んになり、門前町なども大いににぎわったそうです。

まとめ

今回は厳島神社の鳥居を中心に、

  • 厳島神社の鳥居はなぜ海の中にあるの?

  ・正式な参拝の方法は?

  • 厳島神社の鳥居はなぜ赤い

  ・なぜ赤い色にしたの

  • 厳島神社の歴史を簡単に教えて

について探ってみました。

これらのことを頭に入れて厳島神社を訪れれば、感慨も一層深くなることでしょう。

できれば、海から朱塗りの大鳥居をくぐって参道を通り、正式参拝をしてみたいものです。

今回の話がご参考になれば幸いです。

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