「君には無理だよ!」
何かを新しく始めようとする時、周りからこう言われたら、どうしますか?
「やっぱりそうかなぁ」と思って、夢を諦めますか?
今回は、どんなときにもこの言葉を信じようとせず、スポーツ界でスーパースターとなったある男性の人生をたどりながら、成功するための学びを得たいと思います。
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スーパースターが信じなかった言葉
その少年はバスケットボールで強豪校に入り、スター選手になることを夢見ていました。
しかし実際に入ったのは、運命のいたずらかそのスポーツでは全く無名の高校だったのです。
それでも彼はバスケットボールの夢を諦めることはありませんでした。
自分に対して
「君には無理だよ」
という言葉を決して信じなかったからです。
その高校では、勝利に向けてだれよりも熱心に練習に励みました。
そして、まだ1年生であったのに、36得点もあげるという快挙を成し遂げました。
このころから彼に付いた名前は、“マジック”!
そう、マジック・ジョンソンの始まりです。
アーヴィン・“マジック”・ジョンソンは1959年年8月14日、アメリカのミシガン州ランシングという小さな町で7人兄弟の4番目として生まれました。
父親の手ほどきでバスケットボールを始め、そのあと少年チームに参加し、バスケットボール漬けの毎日でした。
高校が名門校でなかったのは、白人がほとんどの高校に強制的に一定数の黒人を編入するという州の人種融合政策の犠牲になったからでした。
マジック・ジョンソンはミシガン州立大学に進学すると、2年生時に全米大会でチャンピオンに輝きます。
その後、大学は2年生で中退し、プロ(NBA)の選手として活躍します。
プロチームではチームの司令塔的役割の「ポイントガード」のポジションを与えられました。
このポジションは通常、背が低く器用な選手に向いているとされているので、背の高いジョンソンはここでも周りから「君には無理だよ」と猛反対を受けます。
もちろん、そんな声に押されて諦めるようなことはありませんでした。
そして、子供のころからの憧れの先輩選手とともに、チームの優勝に貢献しました。
5回のチーム優勝に貢献しますが、1991年32歳でHIVのため引退します。
それにもかかわらず、1992年のバルセロナオリンピックのドリームチームのメンバーに選出され、金メダルに輝きます。
1996年にNBA50周年を記念した「歴代の偉大な50人の選手 」に選ばれています。
2002年には殿堂入りをしています。
プロバスケットボールで最高のスタープレイヤーの1人です。
さらには、エイズの啓蒙活動にたずさわり、ビジネス界でも活躍を続けています。
60歳近くになった今でもあの言葉を信じないのです。
「君には無理だよ」
ドリームキラーの言うことを聞いてはいけない
NBAのスタープレイヤーは無理でも、誰しも人それぞれに目指すものがあります。
そんな時に「君には無理だよ」という周りからの声に出会ったら、そんなことはないとばかりに跳ね返しましょう。
その声の主を“ドリームキラー”と呼びます。
ドリームキラーは、友人であったり、上司や同僚であったり、さらには家族であったりします。
それでも決してドリームキラーの言うことを聞いてはいけません。
彼らはあなたの人生に責任を持ってくれません。
あなたが成功することをうらやみ、嫉妬し、自分との距離が遠くなるのを恐れているだけなのです。
自分の人生に責任を持つのはあなた自身です。
同時に、ここがさらに大切なのですが、あなたの心が「自分には無理だよ」とささやいたら、決してそのささやきに従わないようにしましょう。
無理だという限界を決めているのは、あなたの心です。
心の持ちようを変えれば、限界は突破できます。
私たちは夢を叶えるために生きています。
私たちは幸せになるために生きています。
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